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わたしの感情の歴史

心のページに刻まれた想いを綴ってゆきます

詩集「小さなユリと」黒田三郎 に寄せて 


鮎川信夫が石原吉郎に贈った追悼詩のなかに「罪びとのやさしさ」という言葉があるのだが、
この言葉はわたしの心のなかに、涙の跡のように微かにではあるのだがいつまでも消えずに
残っている。

でも「罪びとのやさしさ」とはなんだろう、罪を犯した人間のみが持つやさしさとは。

そもそも罪とはなんだろうか、堕落とはなんだろうか、人が人を非難する言葉はすべてが曖昧で、

でも「やさしさ」がなんであるかは、言葉で説明できなくとも、なんとなく感じることができる。

そのやさしさの内の重く沈んでゆくような、透明な水に落ちてゆく黒いインクのようなやりきれない
感傷をこの詩集「小さなユリと」から受け取るのではあるが、その感傷は間違いなくやさしさなのである。

宇宙人と称される詩人もいるが、この詩集の作者である黒田三郎は人間である。

切ないくらいに駄目でやさしい人間なのである。


「夕方の三十分」より


癇癪もちの親父が怒鳴る

「自分でしなさい 自分でェ」

癇癪もちの娘がやりかえす

「ヨッパライ グズ ジジイ」

親父が怒って娘のお尻を叩く

小さなユリが泣く

大きな声で泣く


それから

やがて

しずかで美しい時間が

やってくる

親父は素直にやさしくなる

小さなユリも素直にやさしくなる

食卓に向かい合ってふたり座る

---------


入院している母親に代わって世話をしている父と娘のドタバタ劇であるのだが、この人間臭い
やさしさがこの詩集を包んでいる。

当時黒田三郎詩集(思潮社)に収められていたこの詩を15年前に読んだ時に感じた気持ちそのまま
に感動して読むことができた。

この詩集が復刻されたことを知らせて頂いた黒田 正己(小さなユリの弟)さんに感謝します。

帯に書かれている通りに歴史的な詩集です。



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Posted on 2015/09/16 Wed. 08:35 [edit]

category: 黒田三郎

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「秋の日の午後三時」黒田三郎 

  
秋の日の午後三時        黒田三郎


不忍池のほとりのベンチに座って
僕はこっそりポケットウィスキイの蓋をあける
晴衣を着た小さなユリは
白い砂の上を真直ぐに駆け出してゆき
円を画いて帰ってくる

遠くであしかが頓狂な声で鳴く
「クワックワックワッ」
小さなユリが真似ながら帰ってくる
秋の日の午後三時
向岸のアヒルの群れた辺りにまばらな人影

遠くの方で微かに自動車の警笛の音
すべては遠い
遠い遠い世界のように
白い砂の上に並んだふたつの影を僕は見る
勤めを怠けた父親とその小さな娘の影を


---------



秋の日の午後三時、仕事を怠けてウィスキイを飲む父親と、無邪気に遊ぶ小さな娘、そして入院中の妻。

未来の不安を暗示するものはこの公園にはない、ただ平和な日常が秋のやわらかい日差しに照らされている。

 すべては遠い
 遠い遠い世界のように

父親がふと見たふたつの影は、その遠い平和な世界から抜け出してきた、現実の残酷な暗示だったのかもしれない。


「入院中の妻」と書いたのは、黒田三郎の詩で入院中の妻を見舞う詩があったので、恐らくそうだろうと思って書きました。

この詩が収められている詩集「小さなユリ」が読みたくて、当時すでに絶版となっていたので古本屋のサイトなどを巡って探したのですが見つかりませんでした。

いまでも読みたいなあと思っています。

Posted on 2012/10/30 Tue. 18:48 [edit]

category: 黒田三郎

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